おとなのさぁどぷれいす

ちょっとアダルトなおとなの貴方のもう一つの居場所になれば

アントニオ猪木,三遊亭円楽がなくなりました。

アレサンドロです。

若い頃のアントニオ猪木

 

元気な頃の三遊亭円楽

物心ついた頃から

テレビで活躍していた人たちが

続いて無くなりました。

 

藤波達巳と

アントニオ猪木は,新日本プロレスを立ち上げ,

藤波達巳を弟分として茶の間に

わくわく興奮する時間を与えてくれました。

 

プロレスは,芝居とわかっていても

はらはらドキドキの展開に

1台のテレビの前に家族が集まり

興奮していたことを覚えています。

 

中期の笑点メンバー

日曜日の午後5時半も

テレビの前に集まる時間でした。

といっても,

両親はまだ畑仕事をしていることが多く,

兄と一緒に見ていました。

 

この頃の笑点 大喜利は,

先代の三遊亭円楽が司会をしていました。

以前は,三波伸介が司会を務めていました。

1970年代でしょうか。

 

今回なくなられた三遊亭円楽は,

まだ三遊亭楽太郎を名乗っていました。

座布団運びは,現在の山田隆夫ではなく

松崎 真が務めていました。

「手を上げて横断歩道を渡りましょう。

     松崎真でございます。」

って,毎週自己紹介していましたね。

 

お茶の間を賑わせた

 アントニオ猪木さん

 三遊亭円楽さんの

ご冥福を祈ります。