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「徳川四天王」とは?

アレサンドロです。

https://cmeg.jp/w/yorons/35 より

 

 

今回は、「徳川四天王」を紹介します。

徳川四天王」とは、

安土桃山時代から江戸時代初期に、

徳川家康の側近として仕えて

江戸幕府の樹立に功績を立てた

4人の側近・武将を指します。

 ・本多忠勝
 ・井伊直政

は紹介したので、

 ・酒井忠次
 ・榊原康政

の二人を一挙に紹介します。

先求院所蔵の肖像画

酒井忠次は、大永7年(1527年)生まれ、
四天王なの中では最年長です。

徳川氏の前身である松平氏
譜代家臣・酒井忠親の
次男として生まれました。
酒井小五郎、
後に左衛門尉と称しています。

元服後、徳川家康の父・
松平広忠の時代から
徳川家の家臣として仕えていた人物です。

のちの「徳川家康」となる
幼い頃の「竹千代」が、
今川家の人質になる際にも
同行しています。

 

天正13年(1585年)に家康の宿老であった
石川数正が出奔してからは
家康第一の重臣とされ、
天正14年(1586年)家中では最高位の
従四位下・左衛門督に
叙位任官されています。

NHK大河ドラマ「どうする家康」では、
大森南朋が演じています。

最後は、榊原康政

大河ドラマ「どうする家康」では、
杉野遥亮が演じます。

榊原康政生まれた榊原家は、
陪臣という家柄です。
分かりやすく言うと、
松平氏の家来の家来です。

松平竹千代(のちの徳川家康)は、
わずか7歳で今川家の人質になるはずでした。
ところが、駿府へ送られる道中、
織田家の家臣により略奪され、
織田家の人質となってしまいます。

その後、織田家と今川家が和睦し、
改めて今川家の人質にされたのです。

人質になるとき、
家臣達の中から年の近い者達が、
松平元康(徳川家康)の
人質生活にお供をしていました。
榊原康政は13歳のときに、
松平元康(徳川家康)と出会い、
小姓に見出されたのです。

三河一向一揆」の鎮圧部隊として、
榊原康政松平家康(徳川家康)側に付き、
初陣を果たしました。

1566年(永禄9年)に元服して、
名を榊原康政に改めます。
19歳の若さで同じ年の本多忠勝と共に、
旗本先手役に抜擢されました。


徳川家康豊臣秀吉によって
関東に国替えをさせられたとき、
上野国の館林城主となります。


榊原康政は、このあと老中となり、
関ヶ原の戦いから6年後の1606年(慶長11年)、
江戸から離れた館林城で、
静かに息を引き取りました。
享年59歳。