アレサンドロです。
原作の「峠」(とうげ)は、
司馬遼太郎の長編時代小説です。
この小説によって、幕末から戊辰戦争時に
越後長岡藩家老を勤めた河井継之助の名を、
一躍世間に広めることとなった
歴史小説です。
河井継之助は、
近代的合理主義の考え方を持ち、
時代を見据える先見性と実行性を
有していました。
しかし、「藩」や「武士」という
束縛から自己を解放するまでには至らず、
最後には武士として、
長岡藩の家臣として、
新政府軍に対抗する道を選んだ
英雄の悲劇を描いています。
ただ、現在における
河井継之助の評価は、
分かれています。
映画には継之助が戦争の見通しを聞かれ、
「勝てないが、負けはしない」
原作も映画も描いていないが、
戦いの最中には戦争継続に反対する
藩内の農民が一揆をおこし、
少なからぬ藩士が継之助と
袂たもとを分かち、新政府軍に投降している。
新政府軍に恭順しても会津との戦いは
避けられなかったというが、
同様の立場に追い込まれた仙台藩は、
あらかじめ会津と示し合わせて
戦うふりをして窮地をしのいでいる。
非戦を唱えていた継之助が、
なぜ結果的に郷土を焦土にする道を
選んでしまったのか。
東北諸藩軍(映画では東軍)にも
新政府軍(同じく西軍)にも与くみ しない
「非戦中立」を掲げるが、
その願いがかなわないと知ると、
藩をあげて新政府軍と戦う道を選ぶ。
当時は最新兵器だったガトリング砲で
新政府軍の猛攻をはね返し、
夜陰に乗じて八町沖の沼地を渡る奇襲戦法で、一度は失った長岡城を奪還する。
越後長岡藩は表高7万5千石の小藩でしたが、
いち早くフランス式兵制を導入。
当時日本に3門あったガトリング砲のうち
2門を所有するなど
最新鋭の武装をしていました。
しかし、圧倒的な物量を誇る官軍の前に
落ちていく。
長岡を全部焼け野原にし、
地元では永く恨まれていた人のようです。
しかし、司馬遼太郎の「峠」が書かれたことで
今では地元長岡でも評価されるように
なったそうです。